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今年をおもいかえして

2025.12.24

今年一年で感じたこと

師走ももうすぐ終わろうとしています。

振り返ることはしないと決めているのでいつも今を生きることを意識しています。

茶道を学ぶことについて今年の後半ずいぶん考えました。

何のために学ぶのか。

学んで何が変わるのか。

茶道のどの部分が人に影響を及ぼすのか。

教えながらもずっと腑に落ちない気持ちで30年茶道を続けていました。

長く考えることが必要なことは思考を深く落とし込んでいかないと答えにたどり着けません、

それが何年も続くと果たして納得のいく考えに至るのだろうかと迷いそうになります。

迷いの段階からは必ずいつか抜け出せます。

自分を信じて考え続けられるかどうかだけです。

それぞれが自分の人生を生きています。

お互いに調和しながらこの人生は続けていかなくてはなりません。

茶道を選んだ自分は茶道を人生の指針として

和敬清寂の心を精行していかないといけません。

和敬清寂は響きのいい言葉ですが常に

自分を律していかないと得難い道だと思います。

調和しつつ  馴れ合いにならず

相手に敬意を持ちつつ  自分を律していく

清くして  潔く

寂にして  慌てず

言葉の両面を見ると中庸がいかに大切かわかってきます。

そのためにはとにかく続けて、自分の体験から導き出した自分だけの答えを求めていくことが大切です。

人はお互いにお互いの人生を生きられないですから。

自分を信じ切る

これに限ると思います。

大切なこと

2025.11.27

茶道を生業にしていると時代の流れの中にあって

和敬清寂の精神がそのまま受け入れられていることに気がつく。人が大切に思う哲学は普遍のもの。いつの時代も人の関係が混沌としてどこへ向かって生きていけば良いのかわからなくなる。

自分はみんなに茶道を学んでほしいと思う。

人と和して流されず、敬いつつ諂わない

きれいに生きて行くこと、大事に当たって平常心を養うことができるからです。

一つ一つの作法に真剣に向き合って一挙手一投足に至るまで神経を通わせてこそその所作から自身がつくられていく。稽古で半年毎に炉と風炉の稽古が行われるが毎回皆さんの成長が素晴らしい。身体が覚えたことは簡単には忘れない。

インターネットやデジタルは自身の助けになるが身にならないと感じます。

自ら行うことの大切さを今一度再認識する時代に差し掛かっています。

お茶で幸せな人生をつかみましょう。

善き本との出会い

2025.11.18

全ての出会いは必然で本来善悪はないと思っている。タイミング、心の状態でどちらにもなり得る。数年前に買った本であまり興味なく途中で読むのを辞めた本があった。

数年間気に留めなかったが昨日出会った茶道の大先輩と話してから、ふと、その本が気になり手に取って読み直した。

本は大正時代に書かれたものだが

今の茶道界に当てはまる内容だったので 

貪るように読んでいる。

お茶を教えるとはどういうことか、何のために点前をするのか。

今更だが難しい。

本はもちろん著者の言葉と考え方だが

それを咀嚼して自分の身に練り込んでいくことで自分の考えと合わさって自分自身の血となる。

自分が考えてきたことが本の中で重複していると

心が躍る。先人と同じことを考え到達したのかと思うからだ。

簡単に得ることのできない答えを求めてあれこれ考えるのは本当に楽しい。

善き本との出会いはありがたい。

この先は

2025.10.30

世界中から日本に体験を求めて人が集まっている。茶道は戦後多くの先人たちの活躍によって世界に抹茶、日本伝統文化が普及して代表的な文化として知られるようになった。

いま世代の交代が進んでいる。 

今日出会ったカメラマンの方と話す機会があり面白い共通点があった。

私が今目指している茶道家としての姿は

明治大正昭和戦前の茶人の先達たち。

もちろん時代が違うが私にとって裏千家13.14.15代宗匠の若い頃のお茶が面白い。

もっと発想が自由で作法のレベルも高く、茶事などは怯むことなく当たり前のように行なっていた。お菓子も作れば料理も自分でする。

私がお茶を始めた頃から今まで、お菓子も、料理も名店がたくさんあり、そこのお菓子を使ったり、有名店の料理本のレシピのような料理が当たり前と思っていた。亡くなられた鵬雲斎宗匠はよく『贅沢なものでなくてもいい、焼き魚もメザシでもいいからとにかくあなたのためにの心が大切だ』とおっしゃっていた。

現代には現代のお茶があり時代によって変化する。それは必要でどんどんやるべきだと思う。

しかし自分はこれからずっと先人達の辿った茶道を探究していきたい不易流行なちゃどに触れることによって新しい発見があるからだ。

人の一生は100年ほど。100年前のことを直に聞くことは叶わない。書物が手がかりになり紐解くと自分にとっては宝の山。

1000年前の当たり前は自分にとって斬新なアイデアで満ちている。

最近ニュースでよく話題になるクマの出没の話。クマの寿命は20年くらいだそう。

今出てきているクマは里に出ると人間が居て危険だと認知していた世代から4代くらい経っているそうで、人間イコール危険という感覚があまりないそう。

世代をまたぐと教えも薄れていく。

人間には書物がある。

この先の生きていくヒントになれば良い。

知ってること、出来ること

2025.09.16


茶道文化も世界的に知られるようになりお茶ブームもあって抹茶が人気である。

現在はお茶や禅に関する書籍もたくさん出ており知識として知るには事欠かない。

茶道はお茶という飲み物を通して禅僧の生活を模範としてこの日本という国で生きていく中で生まれたものです。

先祖を敬い亡くなった後は山に上り神となって子孫を見守る日本古来の考え方も交じり合い日本独自のものとなりました。

日常生活に根ざしていて毎日の生活が人生修行

そのための『和敬清寂』の実践哲学があります。

茶道のことを知っているというだけではお茶は語れないものです。実践した中で体験を交えて積み上がるものだからです。

先代の家元が『人が茶になる 茶が人になる

茶が茶になる』とかつて話してくださいましたが

意味がよくわかりませんでした。

亡くなられた後には頭の中にこの話がなん度も浮かんできます。

自分の今の理解では

とにかくお茶を点てて教えて勧め合いなさい

ということです。茶道はお茶を差し上げるために鍛錬して点前を身につけてお茶を点てる、それだけのことです。ただ気持ちを目に見える形にするために作法があります。

思ってるだけ、知ってるだけでは何も伝えられない。最近思うことです。