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修行

2024.06.04

禅の修行茶道の修行

道を求めて稽古に励む。

師匠の一言が自分にとっての公案のよう。

考えるが答えが出ない。しばらく心の奥にしまわれているが突如として目の前に現れることがある。

昔大宗匠か御家元かのお話で茶の稽古で悟りが得られると聞いたことがあった。

今になって茶の道具の扱いなどで当たり前でやっていた所作がロジック通りであったり思い込みでルーティンになっていた点前が例外を突きつけられて根底から考え直す必要に迫られる。

これは禅問答のよう?と得心する。

なかなか安心させてくれないのが茶の湯の道

まだ先に見えていない景色がある。

ずっと続く。だからやめられない。

花簇簇

2024.06.02

花簇蔟

自分が居て人が集まる。自分も誰かの居るところに集まる。人の関係とはWEBのように互いにつながってできている。

同じ花を持つ人同士が集まる茶道教室もそのようなものです。感覚、思考、生き方など同じものが好きな人がどんどん集います。

同じ心の在り方を求める人が集まると更に

良い気が生まれ広がりをみせます。

田島老師にいただいた言葉『花簇蔟』

どんどんやれ!と激励されています。

遠くまで

2024.05.20

人生を毎日生き生きと歩む目的は何か。

言葉に表現しづらいですが、考え抜いた結果

自分の中でこの言葉が浮かびました。

『少し先にある未知の世界を見てみたい』

歩まねばならない段階を経ないと見えない景色があります。

あるのは好奇心だけ。その先に何があるのか。

次から次へと現れる未知への挑戦。

周りの景色も変わる、人も入れ替わる

それでいい。上下もない色んな方向へのベクトルが違ったら見える世界も同じものをみても違う。

人との出会いで違うモノを見てる人と出会うと楽しい。

とにかく限りある時間の中でできるだけ遠くに見える何かをたくさん見てみたいと願うのです。

茶事

2024.04.28

茶事

炉の最終週は全員茶事稽古でした。

東籬庵の茶事は亭主も客も

何がしてるか分かるようにゼミ形式で説明しながら行います。

稽古→茶事のための割稽古

茶事が行われている中で

知識が活かせますし

点前も茶事の全体の中の一部のパートとして

必要になります。

教えながらたくさんのことを学びます。

その中で気づきがあり経験が積まれていきます。

この気持ちが極まって友人を呼んで茶を共にいただきたくなります。

茶の道に入り30年

未だ茶の真味を知らず

50余年未だ

己を知らず

大して分かってないことがわかると謙虚になれる。学ぼうという気持ちになれる。

人生が楽しくなる。

そういうものだろう。

茶のある生活

2024.04.12

茶のある生活とは

茶道の稽古は時間をかけて根気よく

習うものです。それがやがて道になり

自分の生活の中に根付きます。

四季折々を意識するのが当たり前になり

手間をかけてお茶を点てることが自他の喜びになっていきます。

お茶は優雅なものです。

思いやりのある会話、懐かしいお茶や香の香り

そんな長い時間をかけたからできた茶友。

茶友を招いて家で茶事を行なえるような関係が築けたらこれほど幸せなことはありません。

先日一時帰国した弟子が戻り茶事の相談がありました。

場所、道具は工夫次第。大切なのはやってみることです。

知ってることを行動して自分のものにするのです。

実践は何十回の稽古にも勝り、人生に喜びを与えてくれます。

さぁ一歩踏み出してみよう。もうすぐ見つかりそうだから。