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2025.10.30

世界中から日本に体験を求めて人が集まっている。茶道は戦後多くの先人たちの活躍によって世界に抹茶、日本伝統文化が普及して代表的な文化として知られるようになった。

いま世代の交代が進んでいる。 

今日出会ったカメラマンの方と話す機会があり面白い共通点があった。

私が今目指している茶道家としての姿は

明治大正昭和戦前の茶人の先達たち。

もちろん時代が違うが私にとって裏千家13.14.15代宗匠の若い頃のお茶が面白い。

もっと発想が自由で作法のレベルも高く、茶事などは怯むことなく当たり前のように行なっていた。お菓子も作れば料理も自分でする。

私がお茶を始めた頃から今まで、お菓子も、料理も名店がたくさんあり、そこのお菓子を使ったり、有名店の料理本のレシピのような料理が当たり前と思っていた。亡くなられた鵬雲斎宗匠はよく『贅沢なものでなくてもいい、焼き魚もメザシでもいいからとにかくあなたのためにの心が大切だ』とおっしゃっていた。

現代には現代のお茶があり時代によって変化する。それは必要でどんどんやるべきだと思う。

しかし自分はこれからずっと先人達の辿った茶道を探究していきたい不易流行なちゃどに触れることによって新しい発見があるからだ。

人の一生は100年ほど。100年前のことを直に聞くことは叶わない。書物が手がかりになり紐解くと自分にとっては宝の山。

1000年前の当たり前は自分にとって斬新なアイデアで満ちている。

最近ニュースでよく話題になるクマの出没の話。クマの寿命は20年くらいだそう。

今出てきているクマは里に出ると人間が居て危険だと認知していた世代から4代くらい経っているそうで、人間イコール危険という感覚があまりないそう。

世代をまたぐと教えも薄れていく。

人間には書物がある。

この先の生きていくヒントになれば良い。

知ってること、出来ること

2025.09.16


茶道文化も世界的に知られるようになりお茶ブームもあって抹茶が人気である。

現在はお茶や禅に関する書籍もたくさん出ており知識として知るには事欠かない。

茶道はお茶という飲み物を通して禅僧の生活を模範としてこの日本という国で生きていく中で生まれたものです。

先祖を敬い亡くなった後は山に上り神となって子孫を見守る日本古来の考え方も交じり合い日本独自のものとなりました。

日常生活に根ざしていて毎日の生活が人生修行

そのための『和敬清寂』の実践哲学があります。

茶道のことを知っているというだけではお茶は語れないものです。実践した中で体験を交えて積み上がるものだからです。

先代の家元が『人が茶になる 茶が人になる

茶が茶になる』とかつて話してくださいましたが

意味がよくわかりませんでした。

亡くなられた後には頭の中にこの話がなん度も浮かんできます。

自分の今の理解では

とにかくお茶を点てて教えて勧め合いなさい

ということです。茶道はお茶を差し上げるために鍛錬して点前を身につけてお茶を点てる、それだけのことです。ただ気持ちを目に見える形にするために作法があります。

思ってるだけ、知ってるだけでは何も伝えられない。最近思うことです。

花は野にあるように

2025.09.11

茶道に七則の教えがある。

茶は服の良きように

炭は湯の沸くように

花は野にあるように

夏は涼しく冬は暖かに

刻限は早めに

降らずとも雨の用意

相客に心せよ

言葉では簡単なことだけど実践するのは難しい。

だからこそ茶道では日常生活が修行なのである。

自分では自分のことは何も証明できない。

だからこそ人の縁が必要なのである。

先人の残した言葉も然り 

私たち自身を照らして導く光となる。

自然もそうである。

花は何を教えてくれるのか。

ありのままで咲く場所で咲く。

その姿を自分の身に置き換えて考えて

愛でて花を茶室に入れるのである。

感謝を込めて

死してなお

2025.09.02

今日は京都裏千家へ弔問の記帳に伺った。生前お目にかかったのは2年前の初釜だった。『これからも青春』と元気にお話しされたのが印象的だった。『世界平和、一碗からピースフルナス』茶道を世界中に広めて先頭に立って旗を掲げ続けた大宗匠はもういない。亡くなってからその偉業改めて大きな器の方だったとわかる。種を蒔き続けた人、これからどの地で大きな実りをもたらしていくのか、残された者の使命である。その一部でも実らせたい。偉大な大宗匠の伝説はこれから始まる。

あなたのために

2025.08.28

お茶を点てるときのコツを大宗匠がおっしゃっていました。『ただ一心にあなたのために』答えはとてもシンプルでした。あなたがいるから私がいる、その反対も然り。相手があって自分が存在する。人は自分で自分のことは癒しきれない、だから誰かのためにしてあげること、そして誰かに何かしてもらうことで互いが存在します。お茶で亭主と客がいるのは人が生きる因果を教えてくれます。今日新しく知り合うだれかはいつか友人になりたいと待っていてくれる人かも知れません。お茶を習って作法が披露できるのは心が平安な人の自己表現です。